丸亀市猪熊弦一郎現代美術館リオープン記念
企画展 「猪熊弦一郎展 アートはバイタミン」
2020年6月2日(火)-9月22日(火・祝)
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
猪熊弦一郎展 アートはバイタミン
Genichiro Inokuma―Art is a Vitamin
[概要]
展覧会名:猪熊弦一郎展 アートはバイタミン
会期:2020 年6 月2 日(火) − 9月22日(火・祝)
休館日:月曜日
時間:10:00-18:00(入館は17:30 まで)
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 展示室C
主催:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、公益財団法人ミモカ美術振興財団
観覧料:一般950 円(760 円)、大学生650 円(520 円)、高校生以下または18 歳未満・丸亀市在住の
65 歳以上・各種障害者手帳をお持ちの方は無料
※( )内は前売り及び20 名以上の団体料金
※同時開催常設展「猪熊弦一郎回顧展」の観覧料を含む
[開催主旨]
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA ミモカ)は、1 年3 ヶ月に及ぶ長寿命化のための建物改修工事を経て、2020 年4 月20日(月)にリオープンいたします。
最初の企画展として「猪熊弦一郎展 アートはバイタミン」を開催します。
「アートというものは、心のヴァイタリティーの一つの薬みたいなものですね。それを大きくすりゃあ、ミュージアムでしょう。
病院という、病気のための、人間を生き返らせる機械があるとすると、ミュージアムというのは心の病院です。それを一点でも、もってきて家庭に置けば、結局、バイタミン(vitamin:ビタミン)のいいのを毎日飲んでるようなものですね。」
(対談:猪熊弦一郎、盛田良子「絵かきは長生きしないと」『味の手帖』1982 年9 月号より)
猪熊弦一郎(1902-93)は、生涯を通じて、美を愛し、美を探究し、美をあらわそうとした画家です。
美しいものには、人の心を癒したり活性化したりする力があると信じ、自分が作り出した美を、より多くの人々の身近な場所に提供し、世の中や人の生活に役立てたいという思いを強く持っていました。
また、家に一ついい絵があれば、それを毎日ほんの少し見るだけで大きな効果があるとし、美術館を「病院」とするならば、家で見る絵は「ビタミン剤」のようなものだと考えていました。
そして、常に暮らしを整え、自分の生活そのものも大切にしていました。
本展では、当美術館が長寿命化のための改修工事を経てリオープンするこの機会に、初心に立ち返り、猪熊弦一郎が考えるアートの役割と、猪熊作品が生活のなかに作り出した美のあり方をご紹介するものです。
「猪熊自身の暮らし」「プライベート空間への美の提供」「パブリックアート」の三部構成とし、猪熊の終の住処となった田園調布の家の台所と居間の再現や、猪熊作品のある暮らしの実例、猪熊がデザインした家具や包装紙、加えて、長く愛され続けている猪熊の代表的なパブリックアートの現在の様子を展観します。
[展覧会の見どころ]
・猪熊弦一郎自身がどのように暮らしていたかをご紹介するため、旧猪熊邸の台所と居間を実物大に再現します。
旧猪熊邸は、住宅建築において評価の高い建築家、吉村順三(1908-1997)の設計によるもので、「田園調布の家」という名で吉村建築の重要な1点として知られています。
吉村は、猪熊とは旧知の仲で、猪熊の美意識や生活スタイルを熟慮してこの家を設計しました。猪熊が大切にした美しい暮らしには、この家の建築空間が大きな役割を担っています。吉村が猪熊に提供した美しい空間を、猪熊が愛した家具や小物が彩ります。
・猪熊弦一郎がプライベート空間に提供した美が、実際に人々の暮らしを彩っている実例として、猪熊作品が個人の家や企業の建物内に飾られている様子を写真やエピソード等でご紹介します。猪熊がデザインし、実際に使われたり販売されていた椅子やローテーブルも展示します。
・猪熊弦一郎が公共空間に提供した美として、4つのパブリックアート(慶応義塾大学壁画、JR上野駅壁画、香川県庁舎陶画、東京會舘壁画)の現在の様子をご紹介します。
これらは、建物の取り壊しにあっても移築されたり、経年による痛みを修復されたりしながら、今もなお、駅や食堂など、多くの人々の日常生活のなかで親しまれているものです。
展示では、香川県庁舎東館1階ロビーの陶画《和敬清寂》の一部(8面のうちの3面)を実物大に再現し、パブリックアートのスケール感もあわせてご紹介します。
[関連プログラム]
キュレーターズ・トーク
本展担当キュレーター(古野華奈子)が展示室にて展覧会の見どころをお話します。
日時: 2020 年5 月10 日(日)、6 月14 日(日) 14:00-
参加料:無料(ただし展覧会チケットが必要です)
申込み:不要(1 階エントランスにお集まりください)
対談 岡本仁×中原慎一郎 「いのくまさんの家で考えたこと」
旧猪熊邸や香川県庁舎東館陶画《和敬清寂》の再現をはじめ、本展の会場デザインを担当したLandscape Products の二人が展覧会の見どころをお話します。
日時:2020 年6 月7 日(日) 14:00-
場所:2 階ミュージアムホール(170 席、全席自由 参加:無料)
親子でMIMOCA の日
高校生または18 歳未満の観覧者1名につき、同伴者2 名まで観覧無料となります。
日時:2020 年6 月21 日(日) 10:00-18:00
※同日、10:30 より親子向けのギャラリー・トークを行います。
[同時開催常設展]
猪熊弦一郎回顧展
会場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 展示室A・B
会期:2020 年4 月20 日(月) − 6 月28 日(日)
休館日:月曜日(5 月4 日は開館)、5 月7 日(木)
[次回開催企画展]
窓展:窓をめぐるアートと建築の旅
2020 年7 月11 日(土)−9 月27 日(日)
休館日:月曜日(祝休日の場合はその直後の平日)
[作家プロフィール]
猪熊弦一郎 / Genichiro Inokuma(1902-93)
1902 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。
1921 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業。
1922 東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科に進学。藤島武二教室で学ぶ。
1926 帝国美術院第7 回美術展覧会に初入選。以後、第10 回、第14 回で特選となるなど、
1934 年まで主に帝展を舞台に活躍する。
1936 志を同じくする伊勢正義、内田巖、小磯良平、佐藤敬、三田康、中西利雄、脇田和、鈴木誠と新制作派協会(現 新制作協会)を結成。以後、発表の舞台とする。
1938 フランス、パリに遊学(1940 年まで)。アンリ・マティスに学ぶ。
1940 パリの戦火を逃れ、最後の引き揚げ船となった白山丸に乗船し帰国する。戦時中は従軍画家として戦地に派遣され作戦記録画を描く。
1947 小説新潮の表紙絵原画を描く(1987 年まで)。
1949 慶応義塾大学学生ホールに壁画《デモクラシー》を制作。名古屋丸栄ホテル大ホール壁画《愛の誕生》の制作を始める。自身が立役者となって新制作派協会に建築部を発足させる。
1950 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。前年制作した慶應義塾大学壁画《デモクラシー》及び名古屋丸栄ホテル壁画《愛の誕生》に対し第二回毎日美術賞を贈られる。新制作派協会第14 回展に自身がデザインした家具を初めて出品する。
1951 国鉄上野駅中央ホールの大壁画《自由》を制作。
1955 再度パリでの勉学を目指し、アメリカ廻りでの世界旅行を計画、日本を発つ。途中立ち寄ったニューヨークに惹かれそのまま留まることとし、約20 年間同地で制作する。渡米をきっかけに抽象画を描くようになる。
1956 ニューヨークのウィラードギャラリーで新作個展を開催。以後、同ギャラリーの所属作家となり、1972 年まで全10 回の個展を開催する。
1958 香川県庁舎の陶画《和敬清寂》を制作。
1971 吉村順三設計による「田園調布の家(猪熊邸)」が完成する。東京會舘本舘ロビーのモザイク壁画《都市・窓》及び電灯装飾《金環》を制作。
1973 日本に一時帰国中、病に倒れる。
1975 ニューヨークのアトリエを引き払う。その後、冬の間をハワイで、その他の季節は東京で制作するようになる。
1984 上野駅壁画《自由》が修復される。
1988 慶應義塾大学壁画《デモクラシー》が修復される。
1989 丸亀市へ作品1000 点を寄贈。
1991 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館する。
1992 所有するすべての作品などを丸亀市に寄贈する趣旨の文書提出。以降、順次丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に搬入。慶應義塾大学壁画《デモクラシー》の設置された建物が取り壊されるため、別の校舎の学生食堂に移設される。
1993 東京にて死去。90 歳。
2002 上野駅壁画《自由》が修復される。
2019 東京會舘が改築され、新本舘に修復されたモザイク壁画《都市・窓》が設置される。電灯装飾《金環》はレプリカでの再現となる。香川県庁舎東館の耐震工事が竣工し《和敬清寂》も元の姿のまま再公開される。